午前中は三峯神社奥宮のある妙法ヶ岳を登り、下山したあとは、三峯神社と秩父の神社を中心に巡りましました。
- 日程; 2014/06/14(土)
三峯神社
ヤマトタケル、役行者、弘法大師_ 歴代のさすらいヒーロー達が、成り立ちに絡んでくる三峯神社。中世には修験道場として栄え、江戸時代には農作物を守る神の使いである眷族(けんぞく)として「お犬さま=オオカミ」が崇められるようになる。やがて大都会江戸では、このオオカミが盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、オイヌサマの護符を受ける講中が各地に組織され、一大ブームになった。主祭神はイザナギ・イザナミとなっているが、実際に祀られているのは守護神としてのオオカミであり、さらに現在、多くの方々がパワースポットとして、三峯神社を訪れる。
こんな雲上に建つ神社にしては、お金持ちな三峯神社。別表神社であるだけでなく、今でも「講」が機能しているのであろう_ それだけ恩恵があると言う事か。
今宮神社
標高1100mの三峯から、標高300mほどの秩父盆地に下りてくると、やはり蒸し暑く感じる。
涼を求め、水湧く社の秩父今宮神社へ。今宮神社の別名は八大龍王宮。水を司どる龍王の宮らしく、武甲山からの伏流水が湧く地だ。境内中央には樹齢千二百年と言われる大ケヤキが植わっていて、樹には大きな祠が空いている。
役小角が飛んできて、龍神を祀ったとも伝わるこの神社、実際の由緒は不明だが、神奈備である武甲山の麓で清らかな水が湧き、洞のある大樹が備われば、その手の方々にとっては、ここも強烈なパワースポットに感じるのだろう。
秩父神社
秩父の一の宮は、山に囲まれた秩父盆地の地形的中心地であり、今でも人々の暮らしの中心でもあることから、古くからこの場所が要であったことを想像する。現天皇宮家の秩父の宮(現在は断絶してしまったが)とも関係がある秩父神社は、八意思兼命(オモイカネ)を主祀とする数少ない神社。オモイカネの子孫、知知夫彦命が祖神を祀ったのが始まりだと伝わり、中世以降は板東武士の妙見信仰(北極星信仰)が習合し、現在の社殿は徳川家康が寄進したものだそうだ。そのせいか三峯神社同様、東照宮風の絢爛豪華さが目立つ。本殿には左甚五郎作と伝わる彫刻も意匠されている。
ちちぶ銘仙館
知々夫彦命が養蚕と機織の技術を伝えたことが始まりと伝わる秩父の絹織物は、明治に考案された、仮織り状態で型染を施し、仮横糸を解いてから織り直す「解し捺染」を取り入れた。横糸に補色を用いることで生じる玉虫光沢を放つ「秩父銘仙」は、全国の女性を魅了した。
現在、ちちぶ銘仙館として利用されているこの建物は、旧帝国ホテルの設計で有名なフランク・ロイド・ライトがデザインに加わっている。アールとスクエアーが組み合わさったデザインは古き良き時代の匂いがする。
聖神社
秩父の町の外れに建つ聖神社は銭神さまなので、世相通りに金運にあやかろうという参拝者で賑わいを見せている。当然、我々も参拝の列に並ぼう。
【708年、日本初の自然銅が秩父から発見され、時の朝廷はその報告を大いに喜び、年号を「和銅」に改元し、日本最初の貨幣「和同開珎」を発行した。】と、教科書で習った。日本初や正確な産地はともかく、聖神社の傍の山には和銅遺跡と呼ばれる、銅の露天掘り採掘跡や製錬所跡が現在でも確認でき、秩父が当時、最先端工業品である銅の供給地であったのは確かなようだ。
自分が見たかった、帝から賜った 神宝の銅製の蜈蚣(ムカデ)は、どうしたら見れるのカナ? 大きな和同開珎のモニュメント横のレプリカで我慢する。
秩父神社に祀られているオモイカネは、天岩戸からアマテラスを上手に誘い出した知の神で、工業・産業の神様でもある。和銅、秩父銘仙、そして今は武甲山のセメントと、秩父を潤してきた産業は、いずれも自然の恵みと人の知恵で生まれ発展した。さてオイカネ、次はどうする?